Introduction 序盤アウトライン: |
昭和21年4月29日、敗戦国である日本国を占領する連合軍は、マッカーサー元帥を最高司令官に擁する司今部の発布した極東国際軍事裁判条例に基き、昭和6年の満州事変から支那事変、太平洋戦争に及ぶ17年8ヵ月間に亘り日本国を支配した指導者百名以上の戦犯容疑者の中から、東條英機元首相を筆頭に元陸軍大将・土肥原賢二、近衛内閣外相・廣田弘毅、元関東軍参謀長・板垣征四郎ら主要戦犯とされる28名を起訴、米、英、仏、蘭、露、加、豪、ニュージーランド、そして、アジアからの3カ国、中国、フィリピン、インドの各国から選出した11人の判事によって開始された審理は、昭和23年4月29日に終了、同年11月4日から11月12日まで行われた判決で被告の刑が確定、その処刑は昭和23年12月23日未明に巣鴨拘置所で執行される。国際法上数多くの矛盾を残した「極東国際軍事裁判」俗称・東京裁判は、国際社会の識者間で大きな論争を呼び起こす事になるーー |
Various Note メモ: |
戦勝国が敗戦国を裁くと云う悪しき前例となった裁判の様子を捉えた映像だが、二年半にも及ぶ期間中、実に400回を超える公判数と二十数億円にも昇ると云われる巨額の費用が投じられたこの裁判の本質を考えさせられる。被告を裁くに当たり連合国側の検事が持ち出したのは、ナチス・ドイツを裁く為に新設された「人道に対する罪」などの戦後に於ける事後法だった訳である。ニュルベルグで新設された法律を日本での戦後裁判に適用すると云うのも、大いなる矛盾を禁じ得ない所だが、その判事として選出された面々も、実は物凄かった。法廷での公用語となる英語も日本語も理解出来ないと云うソ連のザリヤノフ判事とフランスのベルナール判事、法廷で持ち出された事案に前もって関与していたと云うオーストラリアのウエッブ裁判長とフィリピンのジャラニ判事、司法や法に関する資格を一切持たなかったと云う中国の梅汝敖判事などである。 |
米国の大きな誤算は、国際法の学位を只一人持ち合わせる判事だったインドのパール博士の選出だった訳だが、被告全員の無罪を主張し、膨大なページ数の意見書を残したパール博士以外にも、実は、多数の関係者が「東京裁判」の正当性には疑問を投げかけていた。当初から意見書を提示し、判決にも懐疑的だったオランダのレーリング判事は、「東京裁判とその後」と云う著書でも思いの丈をぶちまけているもので、豪州のウエップ裁判長や東京裁判の主席検事だった米国のキーナン検事らも「東京裁判」は国際法に準拠しない違法裁判だったと認める発言を残している。更には、「東京裁判」の立役者だったマッカーサー元師に於いても、裁判が終結した後の昭和25年10月15日、時のトルーマン大統領との会見の際に、裁判に対する過ちを認める趣旨での発言を行っているもので、裁判そのものの起点となった動機についても赤裸々に語っているものだが、実は、パールハーバーでの暴挙だけを裁くつもりが、ニュルンベルグで開始された裁判に倣う形となってしまったと云う趣旨の発言も記録されているのである。 |
そもそもが矛盾だらけの戦争と云う行為だが、経済封鎖と石油禁輸、そして果たし状にも等しい内容の「ハル・ノート」を突き付けられていた日本が大戦に突入した際の状況を考えれば、日本を四面楚歌に追い込んだ米国が戦後裁判で日本を裁くなどと云う事は、本来有り得ない話。本作はペンタゴンが保管していた膨大なフィルムを編集した記録映画だが、先述の矛盾点なども浮き彫りにされた見所も多い作品。欧米に迎合しながらも独自のポテンシャルを世界に知らしめて半世紀超の年月を経た日本だが、その混迷を極める昨今に於いては真のアイデンティティを見つめ直す為にも外せない一篇。「東京裁判」についての見識については青年層の欧米人でさえ持ち合わせているものだが、日本人がその本質を知りませんでは済まされない。 |