Introduction 序盤アウトライン: |
妹の夏子と湖畔の家で暮らす柏木秋子は、少女時代の悪夢を表現する1枚の絵画を手掛けていた。能登半島の浜辺の町に生まれ育った秋子は、その少女時代に愛犬の散歩の途中で迷い込んだ不気味な洋館での悪夢のヴィジョンを抽象画として描き出していたが、やがて、隣人として親しく付き合う久作の働くボートハウスに不気味な棺が送り付けられた日を境に、その悪夢と信じ込んでいた少女時代の記憶が現実だったと云う事に気付き始める。深夜の湖畔を彷徨う妹の夏子や人柄の一変した久作に違和感を抱くようになった秋子は恋人の佐伯に全てを告白するが、一方、佐伯の勤務する病院でも、首筋に二箇所の傷跡を残す貧血状態の女性患者が変死を遂げると云う奇怪な事件が発生していたーー |
Various Note メモ: |
ゴシック路線に真正面から取り組んだ70年代のカルト邦画。後年、和製ヴァンパイア三部作と謳われるその第2弾。その内容は、女性主人公(藤田みどり)を付け狙う吸血鬼(岸田森)の執念の行動を描いた顛末だが、甦生した死者が殺戮を繰り返すと云うスリラー調の前作とは一変、ここでは西洋の古典ホラーでも最も知名度の高い「吸血鬼」と云うキャラクターが日本を舞台に暴れ回る。本作以前の邦画でも数多く扱われていた吸血鬼伝説をモチーフにする所謂「吸血モノ」だが、その公開当時、吸血鬼の代名詞たる「ドラキュラ伯爵」を髣髴とさせるかつてなくヴィヴィッドな和製キャラクターには誰もが驚かされたはず。後年のシリーズ三作目「血を吸う薔薇」では台詞も多くアジテーションも満開と云った岸田森さんだが、寸鉄のダイアローグと抑制された迫力で見せるここでの吸血鬼像はかなりの衝撃だった。
以下、ネタバレ含みます。未見の方はご留意下さい。 |
異邦人の父親を持つ青年が、その父親や祖父などにも症状として現れなていかった吸血鬼の遺伝子を25歳の頃に開花させたある頃、偶然、遭遇した一人の幼き少女・秋子に目を付けながらも、人間として生きる父親によって18年もの間監禁されてしまった事から、その歳月を超えてようやく脱走に成功した吸血鬼が成長した秋子をモノにすべく奔走すると云う物語だが、実は、このストーリーラインも小学生だった劇場鑑賞当時には殆ど理解していなかったもので、メディアで鑑賞し直した後年にようやく把握出来たもの。「父親に邪魔をされなければ、お前は18年前の時点で私の花嫁になっていたのだ」とロリ系をカミングアウトする吸血鬼には笑わせられるが、その実、これは微妙に複雑な所。告白するその相手が、幼少期の面影も皆無と云った売れ残り間際の年齢に成長していた秋子だからである。何もなければ永遠に生き永らえる吸血鬼だが、ある意味、プラトニックな関係でも成立する吸血鬼カップルの場合、永遠に生きる彼らにとっては18年の歳月を反映する容姿の違いなど関係ないと云う事か。意中の相手を決定付ける血の匂いでもすると云う事なのだろうか。この辺りは、執筆に携わった関係者の方々に尋ねてみたい所。 |
吸血鬼を破滅に導く重要なカードとして登場するその父親役の大滝秀治さんだが、あのご本人の面影を残さない分厚いメイクは、大滝さんが併映作品「雨は知っていた」にも出演されていた為だったらしい。シリーズ前作「幽霊屋敷の恐怖/血を吸う人形」では、そのホラー作品の演出に乗り気ではなかった事に配慮する形で「悪魔が呼んでいる」と云う十八番のサスペンス路線の演出を任されたと云う山本監督だが、まさか同時上映されるとは夢にも思っていなかったと山本監督の2作品の併映が本作の公開時にも実現していた訳である。後年、CSなどでも放送された「雨は知っていた」だが、実は、本作「血を吸う眼」の公開当時に住んでいた田舎の東宝劇場では、「水銀・コバルト・カドミウム~(だったかな?)」と云うテーマ曲が印象的だった「ゴジラ対ヘドラ」が併映作品として上映されていた。「ゴジラ対ヘドラ」と云えば、71年夏休みの「チャンピオン祭り」の目玉作品だったはずだが、全国的には6月に公開されていた本作と7月公開のゴジラが併映されていたと云う事は、田舎では71年の「チャンピオン祭り」がなかったと云う事になる。もはや、どーでも良い事なのだが、ここら辺の事情も、昔話のノリで確認したい所。 |
和装の母親をテーマにした和洋折衷の映像だったと云うシリーズ前作「幽霊屋敷の恐怖/血を吸う人形」、夫婦をテーマにしていたと云う後年のシリーズ3作目「血を吸う薔薇」に対して、本作は父親をテーマにしていたと云う山本監督だが、やはり、第一の印象として抱かされる印象は、正攻法ヴァンパイア作品としての映像クオリティの高さ。日本を舞台にしている為に十字架やニンニクと云ったモチーフは意図的に回避されていたらしいが(鏡に映らないと云うモチーフは登場する)、木の楔で絶命すると云うお約束のモチーフによって迎える壮絶なクライマックスは和製ホラー史に残る屈指の名場面で、ステンドグラスのガラス壁をぶち破って主人公らの行く手を阻もうとするカットでは誰もが息を呑んでいた。余談を一つ。70年代の米人気TVシリーズ「事件記者コルチャック」のパイロット版「ラスヴェガスの吸血鬼」に登場するヴァンパイアだが、実は、岸田さん演じる吸血鬼に雰囲気が酷似していたりする。病院のガラス窓をぶち破って逃走するアクションなどでも何気に本作を思い出したりもしたものだが、72年1月11日と云う米国での放映日(2本のパイロットは日本国内未放映)を考慮すれば、71年6月の劇場公開だった本作を参照にしていたとも思える所。あのジョージ・ルーカスも「人造人間キカイダー」のハカイダーをダース・ベイダーの参照にしていたのだから。 |
製作の田中文雄さんが岡田真澄さん(後年、TVドラマでドラキュラを好演)を推す中、岡田さんが渡米していたと云う事情によって役を得た岸田さんだが、それも山本監督たっての推薦によるもので、朝から酒を飲んで身体を壊してと云う青白い顔の岸田さんは正に適役だったとは山本監督の弁。身長をカヴァーする為にハイヒールを履き、その頭部にはズラをかぶっていたと云う岸田さんだが、監督の話によれば、ズラは岸田さんの癖になっていたとの事。植物性にしか見えない岸田さんだったからこそ吸血鬼は適役だったと語る山本監督だが、植物だからこそ血を欲すると云うその話のオチが面白い。余談だが、本作のヒロイン藤田みどりさんは、田中文雄さんが推していた岡田真澄さんと本作公開の翌年に結婚(94年に離婚)。 |
藤田みどりさん演じるヒロイン秋子との間に葛藤を抱く妹の夏子だが、この「血とバラ」を参照にしたモチーフは、本作とほぼ同時期に製作された英国ハマープロ作品「ドラキュラ血のしたたり」でも参照にされている。日本ではドラキュラとされた邦題ながらも、その実、70年の"The
Vampire Lovers"と71年の"Lust for a Vampire"との三部作とされるこの作品は、カルンシュタイン伯爵が主人公のヴァンパイア作品だが、妹が犠牲になると云う結末は本作と同じ流れ(但し、犠牲になるのは双子の妹で、首を切り落とされて絶命)。ちなみに、本作の後年シリーズ3作目「血を吸う薔薇」では、首筋ではなく胸元に牙を立てると云う「ドラキュラ血のしたたり」を髣髴とさせるエロティシズムが注入されている。88年3月5日に刺殺されて他界した夏子役の江美早苗さんだが、その36歳と云う若くしての訃報には言葉を失う。 |
05年4月にリリースされた本シリーズのDVDボックス「血を吸う箱(笑)」は、実に興味深いコメンタリー音声や宣材ポスターのレプリカ(裏面は山本監督のインタビュー)などファン垂涎のアイテムも然る事ながら、3作品それぞれに向上した綺麗な画質とクリアな音質が嬉しいリリースだったが、その音質については、三部作の中でも本作が際立っていたと云える。その輪郭も際立つ音質のクオリティには誰もが驚かされたはず。日本でのボックスリリースの数年前、英国ではTOHOインターナショナルからリリースされていたDVD(座頭市のトレーラーも入っている)だが、個人的には、90年代後半にボックスリリースを要望するリクエストを一度だけ出している。投稿やリクエストと云った行動には腰の上がらない方だが、そんな奥手な人間ですらリクエストに駆り立てられていた事を思えば、東宝さんには相当数の要望の声があったと思われる所。ただ、まさかドラキュラ貯金箱に肖った岸田さんヴァンパイアの貯金箱までがオマケで付いて来るとは想像も出来なかったが。 |
本作のDVDコメンタリーは、現在は作家として活躍されているマリオ・バーヴァが好きだと云う製作の田中文雄さん。本シリーズの企画に入る以前、参考試写として上映された松竹の「吸血鬼ゴケミドロ」のゴアさに東宝の関係者が一同に唖然としていたと云う話や4:3のテレビ構図に慣れていた山本監督はスコープ画面に苦労していたと云う話など、その内容は興味深いものばかり。ご自身でシナリオに突っ込みを入れると云う田中さんのウィットも楽しめる。幼少時代に感化されたと云うロン・チェイニー・Jr主演の「夜の悪魔」の話も面白かった。 |